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平成7年、日本経済は、対ドル79円という未曾有の円高にみまわれた。私は、与党の円高対策プロジェクトチームの一員として、5月、米国との協議に向った。余談だが、その前年、ワシントンを国会の逓信委員会の派遣で訪れた際、「いつの日か、重要案件の交渉で、このワシントンに来たい」と思ったものだが、その機会が早々、到来したのであった。ワシントン、ニューヨークを足早に回る旅程であったが、当時のゴア副大臣、ルービン財務長官をはじめ、錚錚たる顔ぶれの方々と協議ができた。その中で、最も、印象的であったのが、今も、活躍中のグリーンスパンFRB議長(日本で言えば、日銀総裁)との対話であった。グリーンスパン氏の経済運営手腕は、近年、「グリーンスパンマジック」とも呼ばれる程であり、当時から、評価が極めて高かったので、私自身も、楽しみな会談であった。実際の彼は、実に、穏やかで、辣腕というイメージとは対極の雰囲気であった。訥々として語る、その語り口は、金融政策のトップというよりも、学者そのものであった。しかし、内容は極めて質が高く、知的であった。 「日本は、先進国が、戦後、経験したことのないデフレ下にあります。公定歩合が、これまた戦後最低水準(当時1%)にあることは承知しているが、デフレの下では依然、実質金利高です。円高の原因はそこにあるのです。」との指摘であった。私は即座に「議長、そうだとすれば、日本は、リフレ政策を取るべきだということですか」と尋ねた。議長は、ニコッと、この青年政治家は、自分の言った意味をわかったかというような笑顔をみせ、答えた。 「私は、米国の金融政策の最高責任者です。日本の金融当局の日銀の皆さんのこともよくわかっていますが、日本の金融政策に干渉するような発言はできません。」もちろん、私も、彼の立場をよく理解していたので、それ以上は、控えることとした。 会談が終った後、同行していた大蔵省、経企庁の方々から、「小沢さん、グリーンスパン氏と小沢さんのやりとりは、極めて高度で、意義深く、聞いていて、日本人の一人として、誇りを感じました。」とお褒めの言葉をいただいた。政策は奥が深い。政治家は、みな、口をきくのが得意だが、本当に重要なことは、何といっても、その中味だ。日本を支える政策能力こそが政治家には必要なのだ。私自身も、これまで勉強してきた事を、こうした重要な場面で活かすことができて、本当に嬉しかったのを思い出す。 円高については、私は帰国後、私の経済学の師匠でもあった榊原英資国際金融局長(当時)に報告し、その後の対策を行なった。9月には、1ドル100円に戻り、円高は一服した。 私のグリーンスパン氏との対話は、日本経済を円高不況から救い出した大きな力になったと、密かに自負している。私にとっての最も貴重な思い出である。 |
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